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EARTH 代表
Aoi Kumagai 

・・・・自己紹介・・・・

 

芯から輝きたい女性を

応援する

心理カウンセラーの

熊谷 安央以

(くまがい あおい)です。

こちらのサイトへ

お起こしいただき心から

感謝いたします。

​​

 

わたしは、26年間

機械設計用図面ソフトの

エンジニアとして

働いていました。

が、

とあることをきっかけに

キャリアを手放し

メンタル心理士を修学。


 

​「こころ」を大切に

「いのち」を尊び

精一杯

生きて欲しい


 

そう思うようになりました。​​

今は

自分を追い込んでしまい

苦みを感じている女性が

カウンセリングの力で

「生きる喜びを取りもどし」

芯から輝いていく道をサポートしています。



 

しかし、ここに至るまでの

道のり​は長く​

苦悩でした。

私は、昭和49年

新潟の農家に生まれました。

土のあたたかみ

においが大好きで

雪の下から

ふきのとうが芽をだすと

「あ~春がきたんだ~」

ほんとうに嬉しかったのを

覚えています。

.....


 

病気で産まれ。

2歳で手術をしました。

同じ病室で入院していた

あきらちゃんは

亡くなりました。

病室のベットで

撮った写真が

今でも残っています。

母とお線香をあげに

いったとき

あきらちゃんの

お母さんから

大切な命を亡くした悲しみを

感じました。

命の尊さを小さな胸に

刻む、できごとでした。

4ばん目に生まれた私は

産もうか迷ったこと

流産しそうになったこと

病気だったこと

などを聞いていて

望まれてきた

わけではなかった。

みじめな自分と

思い込んでいました


それを

かき消したかったから

「ぜったいに産んでよかった。」

そう思って欲しかったから。

 

 

 

親の期待に

応えるように

がんばりました。

がんばって無いと

価値がない。

がんばっているわたしには

価値がある​

私の価値は

条件付きの存在でした。

ある程度までは

そういう自己犠牲的な

がんばりが評価されました。

 

いなか娘の私が

東京本社への転勤を

命じられます。

 

 

東京に出てきて

また

必死にがんばりました。



 

認められたい対象は

​上司にすり変わって行きました。

「期待に応えたい。」

「認められたい。」

期待に応えているわたしには

価値がある。

その価値観は
強固になっていきました。


 

逆に

「期待に応えられない

私は価値がない…。」

 

 

だから

どんどん機械的に

仕事をこなしました。



 

上司に喜ばれると

価値がある私を感じられるようで。

嬉しかったです。

 

 

あの土のあたたかみを

感じていた

綺麗なこころは

誰かの結果に加担するという

もやがかかっていきました。

 

 

やがてその自己犠牲は

体にサインを出しました。

 

ホームシックになりました。

ご飯が食べれなくなりました。

がりがりに痩せて

いきました。

それでもがんばって…

どんどん自分を

いためつけていったのです。

 

もっとがんばらねば。

もっと期待に応えなければ。

と…


 

ある日、姉から電話が入ります。

 

「父ちゃんが
交通事故で亡くなった。」

 

と、、

 

姉の言葉を聞いた瞬間に

わきの下から

尋常じゃない汗がふきでました。

 

 

こないだ電話で

話したばかりなのに…

 

 

家に入ると

父の身体は

もう硬くて冷たかったです。

「うそでしょ。」

と思いました。

 

​事故は

​​盗んだ車を
無免許運転の若者が

衝突した悲惨なものでした。

 

 

ケートラックの

フロントガラスは割れ

父の体は、30メートル先の
アスファルトに

たたきつけられました。

 

 

何を最期に思ったのだろう。

線香のにおい

悲しみと怒りと憤り

いろんな感情が一変にきました。

田んぼに残ったままの

田植え機

玄関のサンダル

さっきまでいたのに

もう生きていない。。。


 

 

 

出棺のとき

母が過呼吸になりました。

 

大切な人を亡くす辛さ

悲しみは

人間にとって大きな

ストレスなんだ。

と感じました。

 


 

命は、ぜったいに戻らない。

あきらちゃんのときと一緒。

そう思いました。


 

「死ぬ気になったら
なんだってできる」

私の舵は、もっと自分をいためつける方へ取られました。



 

東京に戻り

一層、仕事にうちこみます。



 

自分を追い込むというパターンが

エスカレートしていったのです。



 

これまでコンプレックスだった

学歴…

4大の受験を試みます。

もちろん仕事もこなしながら。



 

通算5年間

血のにじむような努力で

受験と通学をやり切りました。



 

私のチャレンジを喜べない女性の同僚からは

反感をかいました。

ランチも飲み会も誘われなくなり

辛い社会人と大学生活でした。



 

私のチャレンジが
理解されない人もいましたが

たくさん学びがありました。


 

ある日

私の心を揺さぶることが

起こります。

 

毎週のように遊んでいた

大好きな友達に

赤ちゃんができたのです。

「置いて行かれる!」

「羨ましい!」

​そんな焦りの気持を

​切っ掛けに3年間

不妊治療をすることになります。

 

​現実は厳しく

体は年相応に老化していました。

 

そんな自分を受け入れることが

できず…。

 

 

「期待に応えられない
わたし価値がない。」

​その強固な価値観がこの時も私を
苦しめました。



 

500万円の

治療費があっという間に

消えていきます。。。


 

会社には嘘をつき

仮病をつかって

休みながら通院しました。


 

次第に…

 

って何?

私ってだれなの?

 

自分の本当の気持が

分からなくなっていました。

どんどん疲弊

こころがすり切れていきます。


 

仕事と治療の両立は

想像以上に大変でした。​
 

なぜなら

クリニックへ行く日が

突然きまるため
 

仮病を使って通院しいたこと。
一回数十万単位の治療費が飛んでいくこと。

命をお金で買っている
気持ちにもなりました。

 

なにがなんでも

そのタイミングを逃せない。
 

仕事をキャンセルしなくては

ならなくて必死でした。

 

 

なんとか理由をつけて

仕事をどたキャン。

 

 

職場での信用に

傷をつけてまで

タイミングを逃してはならない。

そんな想いでした。

 

 

ようやく妊娠しますが

9週目で流産。

トクトクと動いていたあの小さな鼓動は止まっていました…


 

生まれることのない命

産んであげることが出来なかった命


 

いなくなってしまった

赤ちゃん。

やっと

お母さんになれると思ったのに

 

ショックで

ショックで

産婦人科の手術台で

涙が止まりませんでした。​

 

 

それから

判定日のたびに

「妊娠していませんね。」

と言い渡されること数回。

 

 

傷つかないように

心がロボット
みたいになっていきました。

 

 

ですが…わたしは人間


 

がまんで堰き止めていた

心の堤防が決壊。

 

クリニックを出て

あふれる涙を我慢できませんでした。



 

Xmasの
イルミネーション

街のあかりが、ぼんやりとして

 

 

「どうして私だけ?

神様は、こんなにも過酷な
試練を与えるの

意地悪すぎる」

そう思いました。

 

 

​ついに

何かがプツンと切れるような

音がするように

限界がきたのです。



 

あたり前ですね。

「期待に応えられないわたしには価値がない」

そう自分にも周りにも

嘘をついて

​生きていたのですから。



 

これまでにない挫折を味わい

​​これが​

「心の大切さ」

を知るきっかけでした。


 

・・・・・・・・・・

 

もうやめたい。

もう自分の気持に

嘘つくのをやめたい。

 

そんな思いで

手放した妊娠でした…​


 

・・・・・・・・・・


 

そんなある日

1つの動画を見つけます。

​​その動画に

こんな言葉がありました。

 

 

「好奇心はサイン!」



 

土の臭いをかぎ

あの山のてっ辺から
どんな景色が見えるのか?

子供のころ抱いていた純粋な
好奇心

それを思い出したようでした。



 

毎日毎日毎日
自分に嘘ついて

楽しくない自分で

いいのか?

こんな歪んだ自分でいいのか?


 

「嫌だ!」

「絶対に嫌だ!」

 

心はすり切れて

どん底までいって

ようやく気づきました。

現状を素直に認め

生きるための希望を

求めて行きました。

​​

それが

”カウンセラーとの出逢い”

でした。

​がんばって期待に応えなければ

価値がない


 

すっと、そう思い込んでいましたが


 

がんばって応えようとしている

そうでない、ただ生きている

 

いろんなわたし

があっていい


 

ぜんぶ受け止めて。

「よくがんばったね。」

「期待に応えようと必死にいきてきたんだね。」

って言ってくれました。


 

そんなこと

言われたことなかったから

がちがちのこころが

ほぐれていきいました。

 

そうやって

無条件の私を
受け止めてくれたことが
嬉しかった。


 

「もうがんばらなくて、いいんだよ」

「あなたが生まれたことが
奇跡だから」


 

と…


 

心に

ずっとため込んでいた

辛い気持ちや

がまんしていた

涙があふれでました。

自分に嘘

ついて

ごめん…

心を無くすほど

追いこんでm(__)m


 

私を

受け止めてくれる人の

あたたかさを感じました。

​あの小さいころ

感じていた土のあたたかみのように…

「私がいちばん私を
大切にしてあげよう。」

そう決めました。

 

・・・・・・・・・・

 

何かのスイッチがカチっと

入ったように

これまで籠っていた

治療という殻から

抜け出します。



 

我慢して

治療で頭がいっぱいだったから

自分の気持を許しました。

人に会いにいきました。


 

好奇心のままに。

 

 

きっかけは

赤ちゃんと出会うことでしたが

この夢を叶える事は勿論

私自身が楽める

力が芽生えていきました。

 

 

雪の下から

芽吹くふきのとうのように

命がよみがえるように

こころのくもりが

澄んでいきました。


 

​あの純粋で無邪気で

ひとの命の

尊さを肌で感じていた頃の

​私に戻ったようでした。



 

5ヶ月後…

奇跡がおきました。

 

赤ちゃんが

できていました。



 

そのとき、40歳でした。

信じられないと思う反面
やっぱりなとも思いました。


 

この子はきっと
元気に産まれてくる。

そう感じました。


 

・・・・・・・・・・

 

どん底から1年後

元気な男の子を出産しました。


 


 

我が子の誕生。

本当に本当に嬉しかった。

私のところへ

きた小さな命

どんな高価なものだって

絶対にかなわない

 


 

生きていることが素晴らしい。

そう思いました。

 

喜びと

愛おしさと

慈しみと

達成感と

安らぎと

嬉しさと

ワクワクと

いろんな

ことを感じました。

あの苦しみを

味わったことで

だれよりも、命が

輝いてみえました。

​尊いと感じました。

 

そのときのブログです。

産まれました。

 

・・・・・・・・・・

 

カウンセラーさんと出逢い

「心は大事だ。」

そう思いました。

 

 

あのとき勇気をだして

逢いに行ってよかった。

 

 

カウンセラーさんに

逢いに行ってよかった。

ほんとに良かった。


 

自分の辛かった経験を通し

私も、だれかの心に


 

ぬくもりや
あたたかさ
​を届けたい

あなた自身の命が

尊くて輝かしいもの

だと気づいて欲しい。

 

その想いで心理学の

学びを深めることを
決意


 

私にできることが

あるならば

それを目指してみよう。

 

 

今度は純粋な

想いでがんばってみようと

再出発


 

あの頃の私を

救ってくれたように

私も誰かを救いたい。

 

そんな気持ちが

芽生え

 

​2018年

メンタルケア心理士を修学。

​命の輝きを尊さを

芯から感じていくこと。


 

そういう女性を応援したい

という思いで

心理カウンセラーとして

活動しています。


 

・・・・・・・・・・


 

悩んでたって大丈夫

これからの一歩一歩が
あなたの未来に繋がる。

 

その道のりを一緒に進むために

あなたの背中を押していきます!

 

芯から輝きたい女性を応援する。

(*˘︶˘*) ♡

ERTH 代表
Aoi Kumagai 

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